思い立ったが吉日

竹原啓二はどんな騎手?成績や騎乗馬について調べてみた!

こんにちは。
突然ですが竹原啓二という方を知っていますか?
実はこの方、1996年まで活躍していた元騎手の方なんです。

幼いころ、競馬好きの父親に連れられ竹原啓二さんのレースを見に行ったのですが、私自身全く覚えておらず(‘_’)
先日父と電話した時に「あの騎手を覚えていないのは勿体ないなぁ~。」と言われました。

やけに竹原啓二さんについて熱く語っていた父。
どんな人物なのか気になりました(笑)

覚えていないとはいえ縁あって生でレースを見た選手なので、今回は竹原啓二さんについて調べてみようと思います。

【目次】

竹原啓二(騎手)のプロフィール

まずは竹原啓二さんのプロフィールについて紹介します。

【プロフィール】騎手氏名:竹原啓二(たけはら けいじ)
生年月日:1953年8月29日
出身地:東京都
初免許年:1973年
初騎乗:1973. 3.10(メジロセキホク8着)
初勝利:1973. 4.21(ハマツバキ)

引用:引退中央騎手名鑑

竹原啓二さんは20歳で騎手になって以来、引退するまで約23年間プロとして活躍されてきました。

プロ騎手になるには競馬学校に3年間通う必要があります。(日本中央競馬会の場合) なので、逆算すると竹原啓二さんは17歳の時に競馬学校に入学したと思われます。

いつから騎手を目指したのかは分かりませんが、若いうちから夢を持って努力していたことでしょう。
私は目標もなくのんびり生きてきた人生なので本当に尊敬します(´・ω・`)

竹原啓二(騎手)の成績

竹原啓二さんは初騎乗のわずか1ヶ月後に初勝利をしています。
初騎乗の時は8着だったのにすごいですよね!

竹原啓二さんの中央競馬累年成績はこちら。

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画像元:引退中央騎手名鑑

年度別騎乗成績を見ると騎手デビューした年は全国順位168位でしたが、10年後には全国順位36位にまで成績を上げています。
競馬の好きの父によると全国36位というのは優秀な成績だそうです。

さらに、競走の目玉である「重賞」で9勝している竹原啓二さん。
重賞とは定額以上の高額賞金をかけて、有力馬によって争われるレースのことで集まる観客が多いことから競馬の競争のなかでも看板となっているレースなんだとか。

そんなすごいレースで9回も勝利していると考えると父が熱弁する気持ちが何となく分かる気がします。

f:id:sufficient-unto-the-day:20211020090145p:plain画像元:引退中央騎手名鑑

竹原啓二(騎手)の所属厩舎はどこ?

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日本の場合、基本的に騎手は厩舎への所属という形で雇用されます。

竹原啓二さんが所属していた厩舎は、

1989年から引退するまでの間は厩舎に所属せずフリーで活躍されたみたいです。

そもそも厩舎とはレースに参加する競走馬を調教師が管理・運営する施設のことを指します。
調教師が馬主から馬を預かりレースで勝てるような競走馬へと育てあげ、騎手が乗馬しレースへと挑みます。

竹原啓二さんが所属していた厩舎は松山さんという一家が家族経営していた厩舎です。
なんでもこの松山一家は数々の成績を残してきたすごい一家だそうで、竹原啓二さんもその功績に惹かれて所属を決めたのだと思います。

竹原啓二さんは1989年からフリーで活動されていますが、競馬の世界においてフリーというのは「どこの厩舎にも所属しない」という意味で、厩舎に所属していなくても日本中央競馬会には所属しているので一般的なフリーランスとは少しニュアンスが異なるみたいです。

竹原啓二(騎手)の年収はどれくらい?

騎手がどのくらい稼げるのか気になりませんか?(笑)
サッカー選手や野球選手はどれくらい稼いでいるのかなんとなく想像つきますが、騎手がどれくらい稼げるのか想像がつかないので・・・。
少し生々しい話ですが年収についても調べてみました!

調べた情報によると騎手の平均年収は約1,000万円ということが分かりました。
同じ騎手でも中央競馬地方競馬では年収額に違いがあるみたいでレース結果によっても変動するとのことでした。

意外ともらってる金額が大きいですよね!びっくり!
竹原啓二さんも平均ほどの年収をもらっていたのかなと思います。

騎手は一日に数レースをこなすのでデビューしたばかりの選手でも相当な収入があるみたいです。
ただ、収入金額が大きい分それなりの苦労もあると思うので見合った額なんだと思います。

竹原啓二(騎手)の身長と体重は?

2020年現役騎手として活躍している騎手の平均身長は160㎝、体重は50㎏前後。

騎手に身長制限はありませんが体重に関してはレースによって斤量(負担重量)の制限が設けられています。

斤量とは騎手の体重と馬具を合計したものでレースの種類ごとに定められているもの。
騎手は各レースに出場するたびに体重コントロールが必要になってきます。

騎手の体重が成人男性の平均より軽いのは、減量するよりも馬具の重りで調整する方が簡単だからだそうです。

竹原啓二さんの身長と体重を調べたのですが、これっ!という数字は見当たりませんでした(>_<)

ちなみに、有名騎手である武豊さんの身長は170㎝、体重は50㎏ほどだそうです。
父によると「竹原啓二武豊と同じくらい」と言っていましたが、容姿についてほぼほぼ覚えていないそうなので参考になりません(´・ω・`)笑

竹原啓二(騎手)の騎乗馬はあの有名競争馬だった!

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竹原啓二さんが主戦騎手を務めた競走馬というのがシービークインです。
この名前を聞いて競馬ファンの人は「伝説の新馬戦」を思い浮かべると思います。

シービークインは1976年の新馬戦で竹原啓二さんを鞍上にデビューしました。
当時1番人気馬だったトウショウボーイの直後を走り続け、良い勝負をしていたのですがゴール前で力尽き5着に。
シービークインのデビュー戦は悔しい結果となりましたが、このレースが伝説と呼ばれるようになったのはその後のこと。

その日のレースで初めて会ったシービークイントウショウボーイが恋に落ちたそうです。
ファンのブログによると2頭の競走馬はレース中何度も目が合っていたそう。

そして後年、シービークイントウショウボーイの間にミスターシービーが誕生しました。このミスターシービーは後に中央競馬史上3頭目、クラシック三冠を達成する競走馬となります。

それにしても「伝説の新馬戦」に出場していたなんて、竹原啓二さんはやっぱりすごい騎手ですね。
騎乗した馬が素敵な人生を歩むことになり竹原啓二さんも主戦騎手として誇らしかったと思います。

竹原啓二(騎手)と同姓同名の人物を発見!

竹原啓二」とネット検索すると株式会社フューチャー・デザイン・ラボという会社の会長さんがヒットします。
どうやら竹原啓二さんと同姓同名みたいです。しかも漢字も一緒!

会長の竹原啓二さんはリクルートの元常務でホットペッパーを立ち上げた人だそう。
ホットペッパーと言えば美容院を予約する時に誰もが1度は利用したことあると思います。
予約しやすいしクーポンもあるしで画期的なサービスですよね。
この仕組みを作った会長の竹原啓二さんって凄い!!

同じ名前で二人とも活躍していた・・・
竹原啓二という名前は運勢のいい名前なのかもしれません(*'ω'*)

竹原啓二(騎手)について調べてみて

昔はよく父に連れられて競馬を見に行っていましたが、その時は場内にある売店に夢中で竹原啓二さんをはじめ騎手の方を全く見ていませんでした(>_<)

今回、元騎手である竹原啓二さんについて調べてみて、騎手の体重制限や厩舎との関係、騎手の世界の奥深さを知り競馬の見方も少し変わった気がします。
できることなら今この状態で竹原啓二さんのレースを見たかったです(´;ω;`)

現在、竹原啓二さんは68歳。
今どのような活動をされているのか、競馬に携わっているのか詳しいことは分かりませんが、もし機会があったら「伝説の新馬戦」についてお話を聞いてみたいです(^^)/